宮崎聖の自伐林業10年間

自伐林業との出会い
「自伐林業は儲かるぞ」
30代はじめ、地域活性化、自然やアウトドアガイドの仕事関連の勉強をしていた時、自伐協会長である中嶋さんから自伐林業のことを聞いたことがはじまり。
実際に儲かっている人達の話も聞き、稼げる理屈はわからなかったが、やってみる価値はあると思った。
高知県の制度で10人構えたら50万円の機材補助があることを調べ、任意団体「しまんともりもり団」を作る。
*シマントモリモリ団のyoutube動画(2015年11月)
今のかたちへ

初めての作業は知人の山を間伐したが、全くうまくいかなかった。
はじめは道をつけるだけで、日当1万円、年間で200万円の『補助金』がでたが、山主に還元なしでも1日5000円の収入にしかならなかった。
儲かるから木を伐らず山に道ばかりつけていたが、「これ、補助金無かったらできないよね。」と気づいた。
補助金がなければ、木の値段も安くどんなに頑張ってもやっていけない。いつか補助金がなくなってしまったら…。
以前から、師匠である菊池さんが
「補助金はあてにしない、数字もきっちり出して、日当12000円、経費も入れて36000円稼がないといけない。この木が5000円だから、7本倒さないといけないという計算でやっています。」
と話すのを聞いていたが、当時は全然わかっておらず、補助金なしでそんなもん無理だと思っていた。
2018年、菊池さんの造材研修を受けた。
一通り習ったあと、確かにこれならできるかも…と、自分の山で道もつけずにぼろい杉を習った通りに出してみた。
計算すると、手取りが12000円超え、見積もった数字と一緒だった。道もいらない、軽トラも走らずに林内作業車で行けるじゃんと気づいた。面白い。
自伐林業への考え方が180度変わった瞬間だった。
今では、材積ベースの間伐率2割を守りながら、補助金がなくても続けられる形ができた。(今の自伐林業のやり方については研修で!)
これが自伐林業に必要な方法で、結果的に山や自然を守っていくことにつながっていると10年の自らの取り組みの中で実感した。
これからも自然を守りながら自伐林業をしていきたい。
これから
・木を植え、育てる
10年かけてやっと自伐林業の収入が時給1万円を超えてきた。これ以上収入をあげることは無理だと思い、伐る時に単価をあげられる場所を見極め、良い木を育てた方が良いと気づいた。今後、木を植え始めるつもりだ。二宮金次郎の「100年のために杉苗を植える」という言葉を大事にしている。
“遠くをはかる者は富み
近くをはかる者は貧す
それ遠きをはかる者は百年のために杉苗を植う。
まして春まきて秋実る物においてをや。
故に富有なり。
近くをはかる者は
春植えて秋実る物をも尚遠しとして植えず
唯眼前(ただがんぜん)の利に迷うてまかずして取り
植えずして刈り取る事のみ眼につく
故に貧窮す。”
二宮金次郎
ある時、この言葉を記念碑に掘ってほしいと頼まれた。
「杉」と言う字を見て「うちはヒノキです」と返答してしまったのは、笑い話。
お客さんに、これは二宮金次郎さんの言葉ですと教えてもらい、じっくり読むと、全くその通り、素晴らしいと感銘を受けた。
当たり前に目先の仕事をしながら、次の時代を見据え準備しなければならない。
文字通りの農林業だけでなく、現代の生活にも当てはまる言葉。目指していたことそのものだった。
・災害支援
2024年に2回、能登半島地震の災害ボランティアに参加した。
自伐林業で培った技術は災害時にも非常に役に立つことがわかった。
倒木や倒壊した木造家屋を安全に片づけることは素人にはできない。
わからないまま木を伐ってしまうと二次災害の可能性もある。
様々な位置に木が倒れ、どこに重心があるか、どこを伐れば安全に倒れるかなどは日頃、山で培った技術を使えば良いだけだ。
チェーンソー、ユンボ、ロープなど日常で使われることがない技術。
南海トラフ大地震が囁かれる昨今、四万十周辺もいつ何が起こるかわからない。
そんな時に自伐林業をする人が増えていれば、災害時の復旧に必ず役に立つ。




